連載 第十一話 明日香 二十六歳 同志

第十一話  明日香 二十六歳 同志


大学に入学した頃、パソコンのメールアドレスを配布されて、Eメールというものを使い始めた。このところは、携帯電話のメールぐらいしか使わなくなったが、一応パソコン用のアドレスも持っている。仕事を退職した頃から、インターネット上で細々と自分自身の今日の出来事を書き留める用の日記もあるし、私が高校生の頃は考えられなかったぐらいパソコンとインターネットを介したサービスが不可欠な生活をしている。
基本的に、新しい物好きだから新機能は試してみたいと思う方のだけど、母は携帯電話の機種変更することでさえ、
「前のと操作が変わるんでしょう?新しいこと覚えるのしんどいわ〜」なんていう人だ。
私は、前よりも使いやすくなって楽になるのならば、どんどん自分の生活に取り入れたい。昔は(携帯電話のハンズフリー機能なんて、誰が使うんだろ?)と思っていたが、腕を上げて耳元に電話機を長時間押しつけるのが困難になってきた最近は、とても重宝している。
車椅子にしろ、介助の道具にしろ、ほんの十年、二十年前よりも格段に進歩している。
もちろんさらに十年後とかのほうが、もっと軽くて丈夫な素材で操作もしやすいものが登場しているだろうけど、少なくとも五〜六十年前に生まれて、この病気を発症しているよりも、便利な世の中に生きているんだと思ったりする。

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最近、そんなネットの世界で『遠位型ミオパチー』という単語を検索して、私と同じ病気と闘っている人が意見交換をしているサイトを見つけた。患者数は少ないと聞かされてきたけれど、実際に患者同士が自分自身のことを語る場を見るのは初めてだったし、心のどこかで嬉しく思った。

(こんなにたくさんの人が、お互いに支え合ってがんばっている・・・)

パソコンの画面の向こう側とはいえ、親近感を覚える。
情報が少なく、その上患者数も少ない病気だけに、やはり本当にこの苦しみを理解できる人は多くない。家族でさえ、やはり当事者ではないので、わからないこともたくさんあるが、
同じ病を持つもの同士であれば、精神的な部分も共通点はかなりあると思う。

しばらくの間、そのサイトのコメントのやりとりを閲覧している日々が続いた。次第に分かってきたのは、症状の出方、進行の具合、発症年齢についても、今まで私が本で調べたり聞いてきたものとは少し違うことも多かった。やはり、資料や噂とは違う、患者の生の声は重みが違う。最初は自分自身のために、サイトを覗かせてもらっていたが、それも少し後ろめたく思っていた。そして、そんな気持ちよりも、この人たちに実際に会ってみたいと思う気持ちが勝るようになっていった。自宅から近い場所であれば行きたい!と思っていた矢先、関東圏の患者たちでの集まり(オフ会というらしい)が、東京都内であるという。

(東京ならば、車で行けば数時間。今でも、なんとか行ける距離だ・・・)
そう思い、一通のメールを書いた。



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初めまして。私は茨城県の「あすか」ともうします。

こちらのサイトをいつも読ませていただいておりました。
この度、次回東京オフ会のお知らせ、拝見しました。
私も皆さんにお会いしたいと思っておりました。ぜひ参加させてください。
どうぞよろしくお願いします。
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数日後、管理人の方から快い返事をもらい、正式に参加することが決まった。


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都内に来るのは、久しぶりだった。懐かしいけれど、相変わらず忙しい街だ。
幸い初夏を感じる五月初旬、少し暑いと感じる日差しと、乾いた空気が心地良い日だった。
地元から東京までは、彩乃に車を運転してもらった。高校時代から付き合っている彼氏とも仲良く続いているようだけれども、近頃はお互いの仕事が忙しくて、なかなか会えていないらしい。
車中で彩乃は

「あの頼りなさそうな顔したアイツが、最近なかなか渋い顔つきになってきたのよー。
ま!私の立派な「教育」あってのおかげでしょうけどねー」と、のろけだかなんだか分からないことを言っているが、内心は寂しそうだった。けれどすぐに

「ちょっとー!明日香はどうなの?誰かそういう人とかいないの?」

「そんなのないよ!自分の身体で精一杯すぎて、そんな何個も抱えられないって」

「・・・抱えるって。パートナーは大切よ。別にいきなり結婚とか考えなくてもいいんだし。
話聞いてもらって支えになってもらえる人は側にいてもらった方がいいんだからね。」

「うん・・・。だよね。ありがとう、彩乃。でも今は私、身体のことが先決だよ。」

せめてこの身体の症状が、これ以上進行しないというならば、そんなことも考えたかったけれど、今はとても無理だった。

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都内に着いてからは大学吹奏楽部時代の友人、和美にも来てもらった。
和美は看護職の人ではなかったけれど、東京に行く旨を伝えたら、
「明日香ちゃんにも久しぶりに会いたいし、いいよ!」と二つ返事でOKしてくれた。

このところ、さらに症状は進行していて、一人介助では不安だったり危険な部分が増えてきたので、今回は和美にも来てもらった。車椅子の乗り降りだけでも、今までは自分自身の踏ん張りと介助者のサポートでできていたことが、難しくなってきていた。
少し前も、地元で外出したとき(まぁ、大丈夫かな?)と思い、介助は一人しか頼まなかったら、思いの外、トイレに行くこと一つをとっても大変で、すごく苦労をかけてしまったし、自分も怪我をしそうで怖かった。
この「大丈夫かな?」というのが一番駄目なことなんだと、痛感した。
安全に「絶対」はないし、用心することに度が過ぎても悪いことはない。それよりも事態を甘く見るときが一番危ない時だった。今までも、それで顔にこぶを作ったりしてきていたのに、忘れていた。もう、自分の過失で怪我をして泣いてなんていられない。

初めて参加するオフ会。ちょっと、想像していたものよりもイメージが違った。
会議室とかを借りてしゃべるわけではなくて、普通のお店の一角でお食事会、という感じだった。おかしな言い方だけれども、みんな「元気」だった。
もちろん身体に症状は抱えている。けれど、病状の改善へ向けてすごく積極的なのだ。

全員と均等に話をするというよりも、自分の席の近くの人と情報交換をするという形で、病気のことから、普段の日常生活でのことなど話は多岐にわたった。とある患者さんが、今診てもらっている医師から渡された病状についての説明書きのプリントを配布してくれて、その内容についても話がされた。
遠位型ミオパチーの、今現在分かっている病気の仕組みや、これからの患者とサポートする家族たちの動きについての議論が数時間続いた。

病気の発症原因は遺伝子の染色体異常に起因するという話も出た。突然変異といえば説明は簡単だけれど、医学の専門家たちはそれが染色体の第何番目にあるのか、それがどんな確率で、どう結びつくと発症するのか、病気の構造を研究している。そういった病気の仕組みが解明できたと仮定して、その後はモデルマウスという遠位型ミオパチーという病気を持って生まれたマウスを実験で作り、そこへ薬の投与などをして実際の人体にも効果がある薬の開発ができるように取り組んでいる最中だと言う。

患者からすれば、一日も早く、少しでも効果がありそうな薬であれば喉から手が出るほど欲しい。必要であれば実験台にでもなっていいと思う人もいるだろう。けれど、そこへ至るまでの道のりは、まだまだ遠く長そうだった。そして様々な問題もある。
一番わかりやすいのは、やはりお金だった。
こればかりは一般人が払えるような金額ではない。結局は製薬会社が出資して研究を進めるらしいがそこは患者の少ない『難病』。仮に薬が完成しても、それを必要とする人が少なければ、利益も少ない。ならば製薬会社が投資する意味がない。そんな理屈だった。

絶望的な現状。それでもオフ会に集まった人たちは、諦めてはいなかった。
なんとかして自分たちの力で、研究を進めて薬が手元に届くためにできることを考えている。今すぐ、今日明日で何かができるわけではないけれど、同じ病を持つ患者として私にも何かができるはずだと思う。何よりも諦めることなく、この同志達と一緒に心から笑い合えるような日を迎えたいと思った。

今までも、様々な人に支えられて私は生きてこれた。
けれど、どこかでずっと孤独だった。でももう、一人ではない。常々、会って話ができる距離ではないけれど、数名の方とお互いの連絡先を交換して帰途についた。
和美も彩乃も、今日は一緒に来られてよかった、と言ってくれた。内心、私の病状について心配だけれど、どうも突っ込んで聞けなかったらしい。でも、それも今日の話で前向きな気持ちになれたと言う。

言葉にはしなくても、
(他の人に理解できるものではないし、これは自分自身の問題)と
孤独な閉塞感を作り出していたのは私自身だったのかもしれないと反省した。

同じ病と闘う同志も日本のあちこちにいるし、何より私には身近な友人で、私のことを考えてくれている同志もいるんだ。たくさんの大切なことが分かって胸が熱くなった。

これが後に発足する、私と患者会の初めての出会いの日だった。





(第十二話 透 二十七歳 人と人の十年 に続く