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9月, 2014の投稿を表示しています

遠位型ミオパチー フィクション小説 『私の青写真』 もくじ

この物語について                                          序    明日香 二十八歳                            第一話  明日香 十四歳 不可思議な筋肉痛         第二話  明日香 十五歳 父           第三話  明日香 十八歳 兆し                         第四話  明日香 二十歳 新・成人   第五話  明日香 二十一歳 告知   第六話  明日香 二十二歳 道具   第七話   透  二十一歳 懐かしい日々   第八話  明日香 二十三歳 社会人一年目   第九話  明日香 二十四歳 風邪という大病   第十話  明日香 二十五歳 涙     第十一話 明日香 二十六歳 同志   第十二話  透  二十七歳 人と人の十年    結   明日香 二十八歳 希望、そして、願いを現実に

連載 『結』  明日香 二十八歳 願いを現実に

『結』  明日香 二十八歳 願いを現実に  子供の頃は何とも思わなかったけれど、この歳ぐらいになると節目というのが、大切だと感じる。学生であるうちは、よほどの無茶をしない限り学年が自然に上がる。先輩が卒業し、後輩が入学してくるなど確実に環境が変わっていく。学校側が決めた年中行事をこなすうちに、日々が過ぎていくが社会人には「何年生」という明確な区分けはない。 自分が今この仕事や生活を初めて何年になるのか、意識的に考えないと分からない。 でもそれは、ごく普通のこと。であるからこそ、折々の節目というのは大事だなと思う。 花見・新緑・梅雨のあじさい・真夏の海・中秋の名月・紅葉・師走の年賀状。 旬の食べ物にも、その季節ごとの特徴が含まれている。見るもの、書くもの、感じること・・・どれも意識しなければ淡々と過ぎていくものだけに、私は今、これらのものを大事にしたい。いつでも好きな時に見に行けるものではなく、その時々にしかない瞬間。昔の人たちは様々な季節の変化を感じて、言葉を残した。 四季に節目を作りそこへ目を向けることによって、緩んだ気持ちを引き締め、心機一転しやすいようにしたのだろうと、私は思う。 東京で告知を受けてから七度目の春が過ぎようとしていた。 病状は進行していたが、病気を取り巻く環境に変化が訪れた。 ◇         ◇         ◇ 二○○八年四月。 遂にというか、ようやく遠位型ミオパチーの患者会が発足した。私自身が、直接的に何かを動かしたわけではないが、東京でのオフ会などを主催してくれていた人たちが発起人になり、今、初めて全国規模の患者会が動きだした。当面は、厚生労働省への難病指定認定への署名活動と、治療薬開発のための寄付金を募る活動が主軸になっているが、それ以前に、『遠位型ミオパチー』という病について、広く知ってもらうことが先決だった。 正直なところ、当の本人でさえ、これがどんな病気であるのか完全には理解できていない病気。そんな現状を含めて、この病気の実態について一人でも多くの人に知ってもらうことが先決だと思う。 ほんの数年前までは、私一人の中で、抱えて悩んだり、時には泣いたり、振り回され続けてきた病気であるけれど、今、大勢の人の協力を得て現状打開の方向へ向かって歩み出そうとしている。大学同期の透達にも、署名のお願

連載 第十二話 透 二十七歳 人と人の十年

第十二話 透 二十七歳 人と人の十年 東京で幼少期を過ごした透にとって、海は特別なところだった。 いつでも行けるところではなくて、夏休みの家族旅行で行けるかどうかの場所。そうして、どうにか辿り着いた伊豆地方の海は、いつも大勢の人で溢れていた。みんな海が好きなんだ、だからこんなに人がいるのも納得できるし仕方がない、子供心でそんなことを思っていたかどうか分からないが、透は海が好きだった。 大学生の頃、みんなで明日香の実家に遊びに行こう!ということになって吹奏楽部同期生数名で夏休みも終わりという頃に押しかけた。明日香の実家自体は山間に建っていたが、車で数十分のところに海が広がっていた。それは透が見たことがない、静かな海だった。 八月の前半といえば、都内で言えばまだまだ海水浴シーズン。なのに、今目の前にいるのは地元の子供達が数人というぐらいで、波も穏やかで心静まる海。 それ以来、そんなに遠くもないし、何度も行こう行こうと思いつつ、結局来ることができなかったが、ようやく今年の夏は予定を調整することができた。 メールによる連絡を取り合ってはいたが、明日香に会うのも卒業以来初めてだった。 ◇         ◇         ◇ 「お邪魔しまーす!」 「はーい。いらっしゃーい。適当に荷物置いて上がってきてー」 奥から明日香の声はするが、姿は見えない。 言われた通りにして部屋の奥へと続く扉を開けたら、明日香は居た。 表情にも声色にも気をつけながら「ひさしぶりー」と声に出したが、内心は動揺していた。明日香は部屋の中で電動車椅子に乗っていた。だからといって元気がないわけでもない。 表情も明るいし、自分たちがよく知っている、学生時代から風貌もさほど変わらない明日香だった。 今回は、仕事の都合が付いた吹奏楽部同期三人だけで来た。 海水浴が目的でもないので、部屋の中で近況やらを話しているだけで有意義に時間が過ごせていると思えるようになったのは、大人になった証拠なんだろうか。 学生時代は、同じ学内で活動していた仲間が、今はそれぞれの仕事場で揉まれている。 人並みに愚痴もあるし、思い出話も盛り上がる。けれど、透の視線は部屋の至る所にある、見慣れない器具に興味を引きつけられていた。 「明日香、これって何?」 透が指さしたのは、天井から吊

連載 第十一話 明日香 二十六歳 同志

第十一話  明日香 二十六歳 同志 大学に入学した頃、パソコンのメールアドレスを配布されて、Eメールというものを使い始めた。このところは、携帯電話のメールぐらいしか使わなくなったが、一応パソコン用のアドレスも持っている。仕事を退職した頃から、インターネット上で細々と自分自身の今日の出来事を書き留める用の日記もあるし、私が高校生の頃は考えられなかったぐらいパソコンとインターネットを介したサービスが不可欠な生活をしている。 基本的に、新しい物好きだから新機能は試してみたいと思う方のだけど、母は携帯電話の機種変更することでさえ、 「前のと操作が変わるんでしょう?新しいこと覚えるのしんどいわ〜」なんていう人だ。 私は、前よりも使いやすくなって楽になるのならば、どんどん自分の生活に取り入れたい。昔は(携帯電話のハンズフリー機能なんて、誰が使うんだろ?)と思っていたが、腕を上げて耳元に電話機を長時間押しつけるのが困難になってきた最近は、とても重宝している。 車椅子にしろ、介助の道具にしろ、ほんの十年、二十年前よりも格段に進歩している。 もちろんさらに十年後とかのほうが、もっと軽くて丈夫な素材で操作もしやすいものが登場しているだろうけど、少なくとも五〜六十年前に生まれて、この病気を発症しているよりも、便利な世の中に生きているんだと思ったりする。 ◇         ◇         ◇ 最近、そんなネットの世界で『遠位型ミオパチー』という単語を検索して、私と同じ病気と闘っている人が意見交換をしているサイトを見つけた。患者数は少ないと聞かされてきたけれど、実際に患者同士が自分自身のことを語る場を見るのは初めてだったし、心のどこかで嬉しく思った。 (こんなにたくさんの人が、お互いに支え合ってがんばっている・・・) パソコンの画面の向こう側とはいえ、親近感を覚える。 情報が少なく、その上患者数も少ない病気だけに、やはり本当にこの苦しみを理解できる人は多くない。家族でさえ、やはり当事者ではないので、わからないこともたくさんあるが、 同じ病を持つもの同士であれば、精神的な部分も共通点はかなりあると思う。 しばらくの間、そのサイトのコメントのやりとりを閲覧している日々が続いた。次第に分かってきたのは、症状の出方、進行の具合、発症年齢についても、今まで

連載 第十話  明日香 二十五歳 涙

第十話  明日香 二十五歳 涙 「みっともない」という言葉は、「みとうもない(みたくもない)」が語源だそうだ。 私は、どんなに時間がかかろうと、最低限の身だしなみや化粧もする。 それを止めたら、よくないと私は思う。 人間であり、「いい年の女」でもあるから、自分の腕が頼りなくても身体が動くうちは、着飾る努力はしておきたい。 障害者=何もできない人、というのは偏見だと思う。障害の程度にもよるけれど、結局は当人の気持ち次第。いまだに、夜寝る前になって負の感情を膨れさせてしまい、落ち込むことはあるけれど、なるべく次にある楽しいことを考えることにしている。 そんな「楽しいことリスト」に、近頃は編み物が加わった。指先のリハビリにもいいし、手縫いでできた物の肌触りは柔らかくて気持ちいい。暖かいものが身の回りに欲しくなる頃。 季節は巡り、秋になっていた。 ◇         ◇         ◇ 今日のリハビリの課題は、ハサミを使って手順の通り折り紙を切っていく作業療法だった。 完成見本も目の前にあり、それと同じように切っていくのだけれど、指先の力がもう、ほんの少ししか残っていない私にはハサミを動かすことも難しい。数年前の私であれば、がさつにササッと切ってしまえただろうけど、今はとてもゆっくりにしか切れない。それゆえに私の作品の切り口は、とても丁寧な線になっていて、担当医が「明日香さん、すごく綺麗にできてますね!」と言ってくれた。 今まで、テレビとかで何らかの障害を持った人が、口とかで字を書くのを見て。「すごいなぁ」と思ったことはあったけれど、なんであんなに綺麗に書けるのか分からなかった。でも、普通の人の何倍も時間はかかるけれど、丁寧にしか鉛筆やハサミを持って作業することができないからなんだと、初めて分かった。全速力で作業した結果が、他の人より、ゆっくりで丁寧なだけ。 けれど、褒められて嫌な気分はしない。これもまた、今の私の全力だった。 ほんの少しのことで浮かれる心をよそに、身体の状態は悪くなる一方だった。 今までは足腰の影響が大きかったが、このところは腕に力を入れるのが難しい。寝起きをするのにも、朝思うように身体が動かないこともしばしばある。今日から明日、急に何かができなくなる、というわけではないのだけれど (明日の朝、目が覚めてか

連載 第九話 明日香 二十四歳 風邪という大病

第九話 明日香 二十四歳 風邪という大病 今まで生きてきた人生の中で、一番の休みは小学校の夏休みだった。期間も長かったし、それなりに宿題はあったけれど海に山に遊び尽くした。三歳ぐらいの頃なんて一年中が休みのようなものだけれど、あまり記憶もないし「休み!」として意識したことなんてない。 学校や会社という、やらなくてはいけことがあって、その狭間の期間だから「休み」なんだと思う。 春に退職した私には白紙のカレンダーが広がっている。何をするのも自由だったけれど、小学校時代の夏休みと違うのは自分の意志だけでは動かしきれない身体があるということだった。                                         月に一度の整体と、週に一度の病院通いが始まった。 時間の経過と共に筋組織が失われていくとはいえ、適度な運動や意識的に身体を動かす リハビリで進行をやわらげる努力はできる。会社勤めをしている頃は病院へ行くこともできないほど疲れ切ってしまっていた。堅く動きが鈍くなった筋肉を、理学療法士の人に動かしてもらうのだが、これがとても痛い。誰でも体育の授業で二人一組でストレッチをしたことがあると思うが、あの感覚と同じだ。 「明日香さ〜ん、相当堅くなってますよ。元々、カラダ堅いでしょう?」 担当医の山咲達哉は、ほとんどの患者を名前で呼ぶ。 それが嫌みな感じもなく、さらりと言えるあたりが、この人の人当たりの良さを物語っている。 「あー、いえいえ。中学の時は剣道部でしたが、 練習後ずっと柔軟体操やってましたけど・・・。イー!!!ッタタタタ」 「ほんとですか〜? まぁ、焦らずゆっくりやっていきますけどね。 ハイ!もう一回行きますよ。イチ、ニノ、サーーーン!」 ・・・自分でも本当に剣道部だったんだろうか、と思うぐらい堅いし痛い。自力で歩けているうちはよかったのだろうけど、動かす機会を失うと、足がむくむことが多くなった。 フルートを演奏していた頃も、座奏・立奏問わず同じ姿勢を続けることは身体に負担が大きかった。 今は、生活の中で同じ姿勢を取らざるを得ないことが増えた。できる限り腕力を使って足の組み替えなどをするように意識するのが一日中必要なことになった。 私の身体が変わるように、中学時代の地元友人の環境も変わっていた。

連載 第八話 明日香 二十三歳 社会人一年目

第八話 明日香 二十三歳 社会人一年目 四年間の下宿生活を終えて、ひさしぶりに母と寝食を共にすることになった実家は、高校時代とは別の家になっていた。正確には一年ほど前から、家の建て替え工事をしていて、それが完成したのだ。今はまだ私と母だけの家だが、古希を過ぎた祖父母がいずれ同居することを見こして、大がかりな建て替え工事に踏み切った。 ほんの少しの力でも滑るように動く扉や、手すり付きの階段や広い空間のトイレ。部屋と部屋の間にあった段差も無くなった。東向きの私の部屋には朝日が直接差し込むのが嫌だったが、働き始めたこの頃は、低血圧で寝起きの悪い私にはちょうどいい。 まだまだ新築の建材の匂いがする見慣れない実家で、私の社会人一年目の生活が始まった。 業務は基本的に座り仕事だった。朝、出勤して自分の机に座ってしまえば、トイレとお昼休み以外、それほど動く必要はない。そもそも、つい数ヶ月前まで学生だった私に割り当てられるような仕事はたかがしれている。先輩の仕事の事務・雑務処理といった具合で、書類を見ながら、徐々に仕事上必要になる情報を覚えていくという流れだった。 ゆったりと流れる時間の中、仕事内容にストレスを感じるようなことはまだ何もなかったが、病状は確実に進行していた。 五月頃までは家から会社ぐらいの距離は、自分で車を運転して出社していた。 車を降りて駐車場から職場のフロアまでは、右手に杖をつきつつであればなんとか歩けた。ただ、六月になると杖だけで歩くことが不安になり始め、杖と反対の手は壁について歩くようにしていた。車の運転も、アクセルとブレーキの踏み替えが遅くなり始めてきたので、自分で運転するのを止めざるをえなかった。同時に、休日の一人ドライブもできなくなった。助手席が私の定位置になり、友人が乗せてくれる時が貴重な遠出の機会になった。 (思っていたよりも、だいぶ進行が早い・・・) 就職が決まってから、ずっと不安に思っていたどこまで続けられるかという気持ち。 気持ちを奮い立たせても、身体が全く付いてこないのでは何もできない。まだ社会人三ヶ月。季節が一巡する頃どうなっているのか、考えるのも恐ろしかった。 さすがに、自分用の車イスについて考え始めなければならない。今まで、練習用に使っていたものもあったが、一般的な車イスで、決して使いやすくはな

連載 第七話 透 二十一歳 懐かしい日々

第七話 透 二十一歳 懐かしい日々 大学と言うところは、広大な場所だと透は思っていた。高校の受験勉強をする際、近所の個人塾で、東京の某有名理系大学に通う学生講師の上原に勉強を見てもらっていた。 数学の証明問題を一問解くごとに上原は、今日彼が大学でしてきたことを雑談として話してくれた。透にとって、上原の話の中に登場する大学像こそが、いつの日か自分が通うことになる「大学」であった。 映画の予告編と本編が思っていたものと違う、ということはよくあることだ。 透の入学した大学もそうだった。想像以上に狭く小さい。 芝生があってちょっと仲間と談笑・・・そんなスペースはなかった。多少講義棟が近代的な建築物なだけで、かつて通った中学校の敷地面積とたいして変わらないような規模の大学。しかし、それも大学三年目となった今では違和感も感じないほど、この狭い大学を気に入っていた。 講義と講義の合間、もてあました時間は大学で最も高い五階の窓から学内を眺めるのが暇つぶしの常套手段だった。ここからの風景は学内の全てを見渡せる。遅い昼飯を食べに学食に入っていく学生。今日の講義を終えて帰りのバスに走る学生。朝からずーと日光浴をしている者。様々だ。 大きなあくびをして目を細めた視界の端に見慣れた自転車が通り抜けた。同じ吹奏楽部の明日香だ。入部当初は、どことなく近寄りがたい雰囲気をだしていた明日香だったが、丸二年も同じ部活動で音を出していれば、それぞれの性格にもボロが出てくる。結局、透の一方的な思い過ごしで話してみると明日香はごく普通の明るい二十代女子だった。 下宿組の食事は往々にして貧しいものだったので、週二回の部活動終了後に定食屋に寄るのは恒例となっていた。そんな定食屋ミーティングの話題の中に、明日香の病気が話題になった。筋肉が徐々に失われるとかで、この間の春休みに検査入院した結果、分かったらしい。確かに普段から歩き方に変な癖があるなと思っていたけれど、そんな病気があることは初めて聞いた。明日香も「なんか、わからないことだらけの病気でね。自分でもよくわからないの。」ということらしく、いまいち突っ込んで聞くのも悪いような気がしてそれ以上何も言わなかった。座って、話している姿も楽器を吹いている姿を見ても、別に今までと何も変わらない。 ただ、その後の体力の衰え方を見るにつれて、透

連載 第六話 明日香 二十二歳 道具

第六話 明日香 二十二歳 道具 二○○X、春。 学生生活も残り一年。 色々なことが総仕上げの時期を迎えている。この三年間の音楽生活の集大成は、学内で開いた定期演奏会で全て披露した。演奏について反省を始めたらきりがないけれど、三年前に全くの素人から始めたわりに、すごく上達したと思う。 フルートは『綺麗なお嬢さんがおしとやかに軽快に吹いている』イメージだったけど全然違った。腹筋と背筋で姿勢を保持しつつ、両腕を不自然な格好で上げたまま鼻の下を伸ばしたような表情で歌口に息を吹き込むから、決して演奏中の写真とか見たくない。演奏会の記録をビデオ録画していたようだけれど、「そんなアップで寄らないでー!」と、ずっと思ってた。世の中、先入観で捉えたイメージと現実が違うことって多いんだなと思う。 きっと私の病気のこともそうなんだろう。遠位型ミオパチーという病気を知らない人・分からない人にとっては、すごく奇異に見えているかもしれない。春とはいえ、朝晩はまだ寒く、足が冷えるとつま先が持ち上がらなくて、ものすごく歩きにくくなる。つま先が動かないから、自然と太もものあたりから足全体を「ヨッコイショ」と前方に運び出すようにして歩かなくてはならない。この調子では、普通のペースで歩けなくなっていたし、長距離の移動は本当に無理になってしまった。歩くよりも、自転車に乗ってペダルをこいでいる方が、断然楽で、学内のちょっとした距離でも自転車を使うようになっていた。前方に見えている講義棟へ歩いていこうとしたら、席に着くまで何分かかるだろう?ということを逆算してトイレに行ったり・・・。 とにかく、誰にもそうは見えなかっただろうけど、本人はのんびり歩いているわけではなくて、それが全力で歩いている結果なのだ。 車イスについても一時期考えたが、まだ早いと判断して少し先送りした。 この病気のルール=できるだけ動かせるうちは筋肉を動かす、を守らなくてはならない。今車イスを使い始めると、もう足を動かす機会が激減してしまう。幸い、遅いとはいえ私の足は動く。ただ、このところは何も支えなしで歩くのも怖くなってきたから、軽量の杖を使うようになった。 八月。 学生生活最後の夏休みの頃、いよいよ自転車で移動するのが危険になってきてしまった。乗り降りの時に、こけそうになるし、筋肉が失われていくというの

連載 第五話 明日香 二十一歳 告知

第五話 明日香 二十一歳 告知 東京とはいえ、大学があるのは二十三区を遠く離れた西の外れにあるので、実家と同じぐらい寒い。この冬が終われば大学も半分は終わり。長いようで短い四年間。あとの二年間は卒業論文も書かなくてはいけないし、就職活動についても考えなくてはならない。 冬の寒さで萎縮している身体であるけれど、そうもいってられず、重い腰を上げなくていけない。けれど、いまいちハッキリしない自分自身の身体がよりいっそう気分を重くしていた。 春休みが来て、検査入院生活が始まった。病室に一通りの荷物を置いてから、机が一つだけ置いてある個室に呼び出されて、これからする検査について説明があった。担当の医師は神経内科の人で、「筋肉が炎症を起こす病気かもしれない。もしそうだったら薬でよくなる可能性があるけれど、精密な検査をしてみないことには分からない」という。 ある程度の予測の元に、病状を限定するのに必要となる検査をこれから行うので、それに同意する、という趣旨の書類に目を通してから実際の検査は始まった。血液検査に始まり、MRI、エコー、筋電図、筋生検・・・などなど。私にはいちいち理解していく時間もないほどの検査をした。 (やるからには、この際ありとあらゆることが調べ尽くされて分かればいいのに) それぐらいに思うことにした。 入院のことは、あまり周囲には話していなかったけれど、吹奏楽部の練習を休まなくてはいけなかったので、部内の友人には知らせていた。 「明日香ちゃん、だいじょうぶ〜?」とお見舞いに来てくれるのは嬉しかった。 けれど、「体調、どこが悪いの???」と言われても自分でも正直言って分からない。 疲れやすくて、筋肉痛がひどくて、股関節が痛む。 「それ、ただの運動不足じゃん!ちゃんと食べて運動すれば治るって」 そうだといいな、と思った。 でも、そうではなかった。 ◇         ◇         ◇ 数日後出た診断は「筋肉が無くなっていく病気の一種だろう」と告げられた。母は仕事も忙しく、医師からの告知は一人で聞いた。医師は、「現段階ではこれ以上詳しいことは分かりません。もうしばらくしたら、詳細な病名を特定できます。ただ、単純な病ではなく、これからもっと不自由になっていくことが予想されます。気持ちをしっかり持って、長くこの病と向き合っ

連載 第四話 明日香 二十歳 新・成人

第四話 明日香 二十歳 新・成人 大学も二年目にもなると慣れたものだ。朝起きるのが辛いので必修科目は仕方ないが、できる限り一限目には授業を入れないようにしている。 試験直前になって、急いで友人に借りたノートをコピーしている落第点ぎりぎりの学生が長蛇の列をなしている場所を避けて、待ち時間ゼロのコピー機の在りかも知っているし、お気に入りのくつろぎスペースも見つけた。自炊はあまり得意な方ではないが、限られた仕送りの中、家計には代えられない。下宿近所の安いスーパーで商品を目利きする力も身についたし、クラブ活動帰りに友人とダラダラしゃべりつつ、ゆっくりできる定食屋も数件候補があるから、食事に関する不満はない。 そう。中学入学以来長年の夢(?)であった吹奏楽部に入部した。重量が軽い!のは大事な要素だが、何より音色が好きなフルートを担当することができたのは嬉しい。やはり、幼少期に祖父に散々クラシックのレコードを聴かされていた影響はある。でも、クラシックが好きかというとそれだけでもなく、仲間と一緒に音を出して一曲を演奏するのは、団体戦もあったが、結局は個人競技の剣道よりも断然楽しかった。吹奏楽にもコンクールという「大会」があるらしいが、うちの大学のようなのんびりクラブには縁のない話なので、この歳になって楽器を始める私にはちょうど良かったと思う。 東京の大学ならさぞやイイ男が !? と期待していたが、目を見張るようなカッコいい男子は見あたらなかったが、とにかく私の大学生活は充実していた。 落ち続ける体力を除いては・・・。 ◇         ◇         ◇ 女子大生の鞄は、わりと重い。必要最低限に押さえても、化粧道具・財布・携帯・授業の教科書・図書館で借りた本・入学時に購入させられた「移動型デスクトップ」と言ってもいいぐらい重いノートパソコン。たまに、フルートも入ってくる。毎日ではないけれど、だいたいこの中身が入れ替わりながら必要になる。 講義が終わり、講義室から次の講義室へ移動する時、イスに置いた鞄を持ち上げるにも、ちょっと気を引き締めないと辛かった。握力や腕力、背筋などの部分で日常生活に支障が出始めていたんだと思う。遅刻厳禁の語学の授業に遅れそうになり、小走りをすることもあったが筋肉痛を通り越して股関節がすごく痛くなるようになっていた。とても数年前

連載 第三話 明日香 十八歳 兆し

第三話 明日香 十八歳 兆し 自分で言うのもおこがましいが、この頃の私はよく勉強したなと思う。都会の学校よりも郊外の学校の方が、難関大学と言われる大学への対応はしっかりしていると聞いたことがある。国公立大学志願者も多いし、都市部への憧れも強いんだろう。 私の通う高校も授業以外の時間に希望者対象の補講が開かれたり、それなりにサポート体制は整っていたと思う。何度か利用しようとしたが、帰宅時間が遅くなりすぎるので、結局やめた。家から毎朝、近所のバス停まで車で送ってもらって、そこからバス通学。 だいたいの生徒が同じような登校方法だった。 そんなこともあって、中学であれほど取り組んだ部活動もせず、家と学校を往復する日々。別に退屈だったわけではないし、仲の良い友達もいて、なかなか充実していた高校生活だったとも思う。 一方、運動はめっきりしなくなった。体育の授業で真剣になって走るたびに、膝が上がらなくなっていたけれど、この頃は百パーセント運動不足だと思いこんでいたし、それが普通の考え方だったと思う。 高校二年の時、冬の修学旅行で行ったスキーでじん帯を伸ばしたことがあった。後から考えると部分的に筋力が落ちていたせいで、おかしなこけ方をして怪我をしたのかもしれない。スキーの経験は豊富であっただけに、不思議な怪我だった。それでも、まだまだスキーができるだけの筋力は十分残っていた。 高校三年になって何ヶ月か過ぎた頃、教室の移動の際に階段を登り降りするのが、辛くなり始めていた気がする。無意識に手すりにつかまって移動するようになっていた。 友人達から 「明日香ちゃん、体力なさ過ぎ〜!」なんて言われて 「いや、ほんとにしんどいんだってー」と、しょっちゅう言っていたような気がする。 ◇         ◇         ◇ 春の筋力・体力測定の結果がことごとく悪かったのは鮮明に覚えている。中でも垂直跳びの記録が悪くて、きっとまわりから見たら「嘘だろ!?」っていうぐらい滑稽な姿だったんだと思う。本人は限りなく全力でやっているのに、教員でさえ 「おーい!ちゃんと本気出して飛べ」と言うのだから、よっぽどだろう。 そう言われてから飛んだ結果も、さほど変化はなかった。 登下校の移動手段が、ほとんど乗り物だったので、歩く機会というのは限られていたけれど、この頃

連載 第二話 明日香 十五歳 父

第二話 明日香 十五歳 父 中学三年になる春。父が亡くなった。 近所の友人家族と毎年春スキーに出かけるのが恒例になっていた。 どこの家庭にも年間を通じて、恒例行事というのがあったと思う。我が家は夏の温泉旅行と春のスキーがそうだった。家から車で五〜六時間かけて長野県の方まで行き、ひたすら滑る。 相変わらずの運動オンチの私だが、スキーだけは小さな頃から連れてこられていたので得意だった。何よりリフトで上ってしまえば、あとは重心移動だけで滑れる。自分の感覚次第で、スピードを上げたり、ゆっくり景色を眺めたり、コントロールできるのがいい。 大人達は、ゲレンデに着くなり早々、酒盛りをしていた。何杯とビールや日本酒をあおった後に、滑って転びもせず、休憩をしてまた滑る。夜はロッジで晩餐。まさに底なしだった。毎年のことなので気にもとめず、私と友人はお互いの進路のことをしゃべるのもそこそこに、好きなタレントの話などおしゃべりをしつつ夜が過ぎていった。 ただ、布団に入ってからも例年に比べて太ももの前面の筋肉痛がひどかった。スキーもなかなかハードなスポーツだが、剣道部で鍛えた足腰を持ってしてもいつも通り筋肉痛はやってきた。 朝がきて疲労と睡眠不足で醒めていない頭のまま、また車で数時間かけて家に戻り、さすがに父も疲れたのか、和室で居眠りを始めた。そして、そのまま意識が戻ることはなかった。急性の脳溢血だった。 次の日、「父のものであった身体」は冷たくなり、葬儀屋があわただしく出入りしていた。涙や悲しみに浸ることも忘れるぐらいあっけない最期。 好きなことを好きなようにやり、生きた父。それは自分だけが例外ではなく、家族の私たちにも常々「おまえたちも好きなように自分の道を選べ」というようなことを言う父。 幼少期、「極貧」の生活を強いられた父は、「自分の家族には貧しさから人生の選択肢を狭めねばならない生き方をさせることを嫌った」と後に母に聞いた。 結果論でしかないが、後々考えてみると彼は一番よい時期に逝ったと思う。 この後、私の身に起きる病について何も知らずにこの世を去れたのだから。 ◇         ◇         ◇ 中学三年の夏。 家族の死とは関係なく、学校と家での生活は淡々と過ぎていく。春が過ぎ、夏の大会が終わると三年生

連載『私の青写真』 序

以下の物語は、2008年に、私がインタビューをして執筆した いわゆる創作・フィクションです。 けれど、あの日から、何が変わり、何がよくなったのでしょう。 2014年という年は、難病の新法律が制定され 2015年からは、新法律が施行されます。 この六年は、どういった時間だったのか? そして、これからもっと急速に状況は進展するのか。 もう一度、考え直すために、難病について考えるきっかけの一つとして この物語を再度UPしていきたいと思います。 2014年9月 林未来彦 この物語について 「遠位型ミオパチー」 手指や下腿など手足の先から筋力が低下していく病気があります。それが「遠位型ミオパチー」です。日本できちんとした遺伝子検査実施が普及されていないことや、この病気をよく知り診断できる医師も限られる現状から、実態は把握できていません。様々な統計から、現時点では本邦には300~400人の患者さんがおられると推定されています。遺伝子診断を行っている施設では、診断を確実にした例が増えています。本邦には1,000人以上おられるのではないかと推定している研究者もいます。多くの場合、徐々に進行し、日常生活の介助が必要となります。 以上、遠位型ミオパチー患者会ホームページより引用 二○○八年十月現在、治療薬はおろか治療方法もない不治の病です。にも関わらず、患者数の少なさや現状把握の乏しさから、国の特定疾患にも指定されていません。 (追記:2014年、遂に指定難病に制定されました) 二○○八年四月。患者会が設立され、国への署名活動・医療薬開発資金のための募金活動・マスメディアへのPRなど、様々な活動は始まりましたが、患者の手元に薬が届き回復へのスタートラインに立つにはほど遠い状態です。 これからお届けする小説は、限りなく事実に基づいたフィクション作品です。登場人物は架空の主人公ですが、病の症状は実際の患者の身に今現在起きていることです。症状に個人差はありますが、発病は二十〜三十代の男女問わず徐々に始まるといいます。 ですが四十代〜以降の患者の方もいますし、何しろ分からないことだらけの病です。「自分には関係ない」ではなく、自分自身やこれから生まれてくる子供達にも可能性のある病。そのことを認識

【2014年9月のLIVE】盛りだくさんすぎます

 【ワンダフルボーイズ9月のLIVE情報】 9/23(火)@ムジカジャポニカ ワンダフルボーイズ BLONDnewHALF ミステルズ3/4 18時開場/19時開演  2000円/2500円 ☆愉しませて貰う秋の祝日 梅田ムジカジャポニカ http://musicaja.info/ schedule/post_361.html 9/26(金) カルメラのザッツ・ゴールデン・バラエティ~ギンギンLOVESTORYは突然に~ @大阪・心斎橋BRONZE OPEN18:00 START19:00 ADV\2,800 DOOR\3,300(別途1DRINK) w/[LIVE]ワンダフルボーイズ[お笑い]代走みつくに(松竹芸能) チケット:カルメラ予約フォームにて取置受付中 またイープラスで8/12より発売開始 お問合せ:心斎橋BRONZE06-6282-7129 9/27(土) THIS IS PARTY!!! OKA Best Friend's Bridal Mission [時間]OPEN17:00 START17:30 [金額]前売4000円 当日5000円 ※共にFREE DRINK (設定時間帯のみ) & FOOD込 MUSIC:SUNDAYカミデ( ワンダフルボーイズ / 天才バンド ) [出演] ワンダフルボーイズ ノスタル人 and more!! ※金 佑龍、原田 茶飯事は イベントの諸事情により出演がなくなりました 9/28(日) アジパイ6周年パーティー 『商栄ロックンロールシティ。vol.2』 @ストロベリーフイールズ(鳥取市商栄町) 15:00START 前売り¥3500/当日¥4000(共に1ドリンク別) ※学生割引あり ☆当日先着順で数量限定オリジナルトートバッグプレゼント!! 【LIVE】 ワンダフルボーイズ 清水あつしとグッバイトゥロマンス fugacity OBUTSUDAN-SUMINO LONG TALL SALLY WONDER WONDER 【DJ】 MIMU(SPAROCKS...HRSM) 村瀬謙介 miyuki サモサ(インド

Suite Night Classic Vol.26 和歌山 Onomachi α

Suite Night Classic Vol.26 ~難病の友のためのチャリティーコンサート~ 日時:2014.9.20 土曜日 時間:16:30 OPEN / 17:00 START (19:00終演) 会場:onomachi α (おのまちあるふぁ)    〒640-8216 和歌山市元博労町55・2F    TEL.073-498-8156    http://www.onomachi.jp/ 料金:¥1,500 (別途food & drink メニュー有) チケットのご予約は、musiclife1979@gmail.com(主宰 林宛てに届きます)か onomachi α (TEL.073-498-8156)へご連絡下さい 出演: 林未来彦 【Sax & Flute】 井上香菜 【Piano】 杉瀬陽子 【Vo & Gt】 *チケット収益金の一部を遠位型ミオパチー患者会 ( http://enigata.com/ )へ募金します 主催:Suite Night Classic 林未来彦 / 安田崇 協力:NPO法人 PADM 遠位型ミオパチー患者会             http://enigata.com/