連載 第三話 明日香 十八歳 兆し

第三話 明日香 十八歳 兆し

自分で言うのもおこがましいが、この頃の私はよく勉強したなと思う。都会の学校よりも郊外の学校の方が、難関大学と言われる大学への対応はしっかりしていると聞いたことがある。国公立大学志願者も多いし、都市部への憧れも強いんだろう。
私の通う高校も授業以外の時間に希望者対象の補講が開かれたり、それなりにサポート体制は整っていたと思う。何度か利用しようとしたが、帰宅時間が遅くなりすぎるので、結局やめた。家から毎朝、近所のバス停まで車で送ってもらって、そこからバス通学。
だいたいの生徒が同じような登校方法だった。
そんなこともあって、中学であれほど取り組んだ部活動もせず、家と学校を往復する日々。別に退屈だったわけではないし、仲の良い友達もいて、なかなか充実していた高校生活だったとも思う。

一方、運動はめっきりしなくなった。体育の授業で真剣になって走るたびに、膝が上がらなくなっていたけれど、この頃は百パーセント運動不足だと思いこんでいたし、それが普通の考え方だったと思う。

高校二年の時、冬の修学旅行で行ったスキーでじん帯を伸ばしたことがあった。後から考えると部分的に筋力が落ちていたせいで、おかしなこけ方をして怪我をしたのかもしれない。スキーの経験は豊富であっただけに、不思議な怪我だった。それでも、まだまだスキーができるだけの筋力は十分残っていた。
高校三年になって何ヶ月か過ぎた頃、教室の移動の際に階段を登り降りするのが、辛くなり始めていた気がする。無意識に手すりにつかまって移動するようになっていた。

友人達から
「明日香ちゃん、体力なさ過ぎ〜!」なんて言われて

「いや、ほんとにしんどいんだってー」と、しょっちゅう言っていたような気がする。

◇         ◇         ◇

春の筋力・体力測定の結果がことごとく悪かったのは鮮明に覚えている。中でも垂直跳びの記録が悪くて、きっとまわりから見たら「嘘だろ!?」っていうぐらい滑稽な姿だったんだと思う。本人は限りなく全力でやっているのに、教員でさえ
「おーい!ちゃんと本気出して飛べ」と言うのだから、よっぽどだろう。
そう言われてから飛んだ結果も、さほど変化はなかった。

登下校の移動手段が、ほとんど乗り物だったので、歩く機会というのは限られていたけれど、この頃から歩くスピードも友人に比べて遅くなり始めていた。
よく、全校集会とかで集団で移動する時に最後尾にいる集団。おしゃべりのしすぎとか、学生時代とかにありがちな「かったるいな〜」という反発の姿勢で後れを取るのではなく、私の歩みのスピード自体が遅くなってきていた。歩き方も、つま先を持ち上げる筋肉が少し落ちてきていたので、意識的につま先を持ち上げる上げ方をし始めていたように思うけれど、まさかそれが病気の症状によるものだとは考えもしなかった。
自分の身体の状態というものは、他人と単純に比較できるものでもないし、
「まぁ、昔から疲れやすい体質だからなぁ」ぐらいにしか思っていなかった。日常生活を送る上で不自由することもなかったので、こうして私の高校生活は過ぎていった。

一九九X,春。
私は必死の勉強の甲斐もあって東京の大学に通うことになった。茨城の実家を離れての一人暮らし。新生活の期待が目の前に広がり、落ち続けている体力について考えるほど、私は大人になってはいなかった。


(続く