第八話 明日香 二十三歳 社会人一年目
四年間の下宿生活を終えて、ひさしぶりに母と寝食を共にすることになった実家は、高校時代とは別の家になっていた。正確には一年ほど前から、家の建て替え工事をしていて、それが完成したのだ。今はまだ私と母だけの家だが、古希を過ぎた祖父母がいずれ同居することを見こして、大がかりな建て替え工事に踏み切った。
ほんの少しの力でも滑るように動く扉や、手すり付きの階段や広い空間のトイレ。部屋と部屋の間にあった段差も無くなった。東向きの私の部屋には朝日が直接差し込むのが嫌だったが、働き始めたこの頃は、低血圧で寝起きの悪い私にはちょうどいい。
まだまだ新築の建材の匂いがする見慣れない実家で、私の社会人一年目の生活が始まった。
業務は基本的に座り仕事だった。朝、出勤して自分の机に座ってしまえば、トイレとお昼休み以外、それほど動く必要はない。そもそも、つい数ヶ月前まで学生だった私に割り当てられるような仕事はたかがしれている。先輩の仕事の事務・雑務処理といった具合で、書類を見ながら、徐々に仕事上必要になる情報を覚えていくという流れだった。
ゆったりと流れる時間の中、仕事内容にストレスを感じるようなことはまだ何もなかったが、病状は確実に進行していた。
五月頃までは家から会社ぐらいの距離は、自分で車を運転して出社していた。
車を降りて駐車場から職場のフロアまでは、右手に杖をつきつつであればなんとか歩けた。ただ、六月になると杖だけで歩くことが不安になり始め、杖と反対の手は壁について歩くようにしていた。車の運転も、アクセルとブレーキの踏み替えが遅くなり始めてきたので、自分で運転するのを止めざるをえなかった。同時に、休日の一人ドライブもできなくなった。助手席が私の定位置になり、友人が乗せてくれる時が貴重な遠出の機会になった。
(思っていたよりも、だいぶ進行が早い・・・)
就職が決まってから、ずっと不安に思っていたどこまで続けられるかという気持ち。
気持ちを奮い立たせても、身体が全く付いてこないのでは何もできない。まだ社会人三ヶ月。季節が一巡する頃どうなっているのか、考えるのも恐ろしかった。
さすがに、自分用の車イスについて考え始めなければならない。今まで、練習用に使っていたものもあったが、一般的な車イスで、決して使いやすくはなかった。私の場合、腕よりも足、つま先の方から徐々に自由がきかなくなってきていた。「心臓より遠い部分」から症状が始まると言うが、これも一概には言えないらしい。先に握力が落ちてきて箸を正しい持ち方で握れなくなっても、脚力の症状はそれほど進行せずに日常的に歩けている、という人もいる。ただ、順序がどうであれ、いずれ症状は全身に回る。
私の足は、二足歩行するのはそろそろ危険になっていた。腕を使って進む普通の車イスは正直言って辛いが、今動かさなければ腕力も早々に失われてしまう。高さやシートの幅など自分の体の大きさに合ってることを確認したり、長時間座っていてもできるだけ楽で、硬すぎず柔らかすぎない、安定感のある座布団代わりのクッションを選んだりした。そして長く使うものだからお気に入りの色のチョイスなどもしつつ私用の車イスの注文をした。
九月ごろ、それは完成して、徐々に扱い方に慣れることから始めることにした。
◇ ◇ ◇
秋。
職場の部署が大幅異動になった。業務内容も変わり、今までのように一日中座ったままというわけにはいかなくなった。職場で車イスを使わざるを得なくなったが、今までのフロアより狭くなり、不慣れな車イスの操作にも神経を使った。
職場と家の往復だけでも私には重労働であった上に、急激な環境の変化は精神的にもきつく、家に帰って夕食を済ませたら即、布団へ直行の日々だった。週二日の休日も、休み明けの疲労度を思うと憂鬱で、どこにも行かずに過ごす日々が増えた。
冬から春先。
家の中を移動する時、膝立ちで歩くようになった。もう、床に座り込んだ状態から何かを支えにしても、足裏でしっかり踏ん張って立ち上がるのは難しいことになってしまった。
座った姿勢でも、足を組み替えたりするには両腕で自分の足を抱え込むようにして体勢を変える。学生時代よりも圧倒的に運動量が激減したために、今まであった筋力が急速に失われていくのが分かった。歩けたところが、歩けなくなる。手に持てていたものが、ものによっては不可能になる。食事・洗顔・トイレ・着替え・・・。一つ一つの動作に時間がかかるようになり、一日の生活をすることが大仕事になった。
◇ ◇ ◇
本当は秋の部署替えの頃から考えていたが、丸一年がたった春、退職した。
「せめて一年間は続けよう」と心に決めてきた上での選択だった。
これ以上自分のわがままだけで仕事を続けることは、周囲に多大な迷惑をかけ続けることになる。今日という日まで、私は「私が社会にできることをやりきった」と思うことにしよう。今この瞬間からは、私が私自身の身体のために何ができるか考える時間が始まる。
ひとまずは、凝り固まった身体のために月一回の整体に通うことから始めることを決めた。
◇ ◇ ◇
今、私の目の前には、白と黒の世界が広がっている。
研究は進んでいると言うが、未だ解明されない治療方法の闇の世界。
そして、不自由なことが増えてきたとはいえ、私自身が色を塗り選択していける真っ白な世界。暗く重い世界に目を向けても何も始まらない。眼下に広がる真っ白い世界の中にきっと解決策も治療薬もある。そう信じて、目の前に向かって新しい一歩を踏み出す。
(第九話 明日香 二十四歳 風邪という大病 に続く
四年間の下宿生活を終えて、ひさしぶりに母と寝食を共にすることになった実家は、高校時代とは別の家になっていた。正確には一年ほど前から、家の建て替え工事をしていて、それが完成したのだ。今はまだ私と母だけの家だが、古希を過ぎた祖父母がいずれ同居することを見こして、大がかりな建て替え工事に踏み切った。
ほんの少しの力でも滑るように動く扉や、手すり付きの階段や広い空間のトイレ。部屋と部屋の間にあった段差も無くなった。東向きの私の部屋には朝日が直接差し込むのが嫌だったが、働き始めたこの頃は、低血圧で寝起きの悪い私にはちょうどいい。
まだまだ新築の建材の匂いがする見慣れない実家で、私の社会人一年目の生活が始まった。
業務は基本的に座り仕事だった。朝、出勤して自分の机に座ってしまえば、トイレとお昼休み以外、それほど動く必要はない。そもそも、つい数ヶ月前まで学生だった私に割り当てられるような仕事はたかがしれている。先輩の仕事の事務・雑務処理といった具合で、書類を見ながら、徐々に仕事上必要になる情報を覚えていくという流れだった。
ゆったりと流れる時間の中、仕事内容にストレスを感じるようなことはまだ何もなかったが、病状は確実に進行していた。
五月頃までは家から会社ぐらいの距離は、自分で車を運転して出社していた。
車を降りて駐車場から職場のフロアまでは、右手に杖をつきつつであればなんとか歩けた。ただ、六月になると杖だけで歩くことが不安になり始め、杖と反対の手は壁について歩くようにしていた。車の運転も、アクセルとブレーキの踏み替えが遅くなり始めてきたので、自分で運転するのを止めざるをえなかった。同時に、休日の一人ドライブもできなくなった。助手席が私の定位置になり、友人が乗せてくれる時が貴重な遠出の機会になった。
(思っていたよりも、だいぶ進行が早い・・・)
就職が決まってから、ずっと不安に思っていたどこまで続けられるかという気持ち。
気持ちを奮い立たせても、身体が全く付いてこないのでは何もできない。まだ社会人三ヶ月。季節が一巡する頃どうなっているのか、考えるのも恐ろしかった。
さすがに、自分用の車イスについて考え始めなければならない。今まで、練習用に使っていたものもあったが、一般的な車イスで、決して使いやすくはなかった。私の場合、腕よりも足、つま先の方から徐々に自由がきかなくなってきていた。「心臓より遠い部分」から症状が始まると言うが、これも一概には言えないらしい。先に握力が落ちてきて箸を正しい持ち方で握れなくなっても、脚力の症状はそれほど進行せずに日常的に歩けている、という人もいる。ただ、順序がどうであれ、いずれ症状は全身に回る。
私の足は、二足歩行するのはそろそろ危険になっていた。腕を使って進む普通の車イスは正直言って辛いが、今動かさなければ腕力も早々に失われてしまう。高さやシートの幅など自分の体の大きさに合ってることを確認したり、長時間座っていてもできるだけ楽で、硬すぎず柔らかすぎない、安定感のある座布団代わりのクッションを選んだりした。そして長く使うものだからお気に入りの色のチョイスなどもしつつ私用の車イスの注文をした。
九月ごろ、それは完成して、徐々に扱い方に慣れることから始めることにした。
◇ ◇ ◇
秋。
職場の部署が大幅異動になった。業務内容も変わり、今までのように一日中座ったままというわけにはいかなくなった。職場で車イスを使わざるを得なくなったが、今までのフロアより狭くなり、不慣れな車イスの操作にも神経を使った。
職場と家の往復だけでも私には重労働であった上に、急激な環境の変化は精神的にもきつく、家に帰って夕食を済ませたら即、布団へ直行の日々だった。週二日の休日も、休み明けの疲労度を思うと憂鬱で、どこにも行かずに過ごす日々が増えた。
冬から春先。
家の中を移動する時、膝立ちで歩くようになった。もう、床に座り込んだ状態から何かを支えにしても、足裏でしっかり踏ん張って立ち上がるのは難しいことになってしまった。
座った姿勢でも、足を組み替えたりするには両腕で自分の足を抱え込むようにして体勢を変える。学生時代よりも圧倒的に運動量が激減したために、今まであった筋力が急速に失われていくのが分かった。歩けたところが、歩けなくなる。手に持てていたものが、ものによっては不可能になる。食事・洗顔・トイレ・着替え・・・。一つ一つの動作に時間がかかるようになり、一日の生活をすることが大仕事になった。
◇ ◇ ◇
本当は秋の部署替えの頃から考えていたが、丸一年がたった春、退職した。
「せめて一年間は続けよう」と心に決めてきた上での選択だった。
これ以上自分のわがままだけで仕事を続けることは、周囲に多大な迷惑をかけ続けることになる。今日という日まで、私は「私が社会にできることをやりきった」と思うことにしよう。今この瞬間からは、私が私自身の身体のために何ができるか考える時間が始まる。
ひとまずは、凝り固まった身体のために月一回の整体に通うことから始めることを決めた。
◇ ◇ ◇
今、私の目の前には、白と黒の世界が広がっている。
研究は進んでいると言うが、未だ解明されない治療方法の闇の世界。
そして、不自由なことが増えてきたとはいえ、私自身が色を塗り選択していける真っ白な世界。暗く重い世界に目を向けても何も始まらない。眼下に広がる真っ白い世界の中にきっと解決策も治療薬もある。そう信じて、目の前に向かって新しい一歩を踏み出す。
(第九話 明日香 二十四歳 風邪という大病 に続く